15 新居

 

   母ちゃんは週2回、マンションの部屋に戻る。 洗濯をするのと、ベランダの植物に水をやるのが表立った目的だけど、何、実は改装工事がどこまで進んでるのか見たいんだね。 工事をしているのは、すごく信頼できる工務店の人たちで何も問題はないんだけど、自分の部屋がどんな風に変わっていくのか、そこは母ちゃんも人の子で、興味深々なんだ。 今まで、床に段差のある複数の部屋、暗くて狭い上に使い勝手の悪いキッチンで13年間我慢してきた母ちゃんは、それら諸問題をこの際いっきに解決することにした。 仕事のため、自宅にいる時間はほとんどない状況だからこそ、せめている時くらいは自分の好きな空間で暮らしたい、と。 
 

   それに、意外なことだが、母ちゃんは料理好きである。 お客のある時は必ず何品か腕によりをかけてオリジナル・ディッシュを作る。 オレが思うに、これは母ちゃんのストレス解消なんだな。 たまに時間があると、普段できないことをやってみたくなるのは人情である。 だから、そういう時、母ちゃんは嬉々として台所を走り回るんだ。 
「ああ、こんな楽しいことを、どうして専業主婦のヒトは嫌がるんだろう」
というのが母ちゃんの疑問である。 いや、専業主婦のヒトは、母ちゃんと逆で、毎日毎日家族のために献立を考えなくちゃならないから、料理がイヤになるんだ。
 母ちゃんは今いるマンションの限られたスペース内で自分の理想に近いLDKを現出しようとした。 母ちゃんにはもはや係累がなく、これからも人間の家族はできそうにないから、どんな奇抜な間取りにしたって文句の言い手はないのである。 こんな経験はもちろん生まれて初めてであるから、さぞ興奮したことだろう。
 

  いよいよ、リフォームが終了した部屋へ戻る日が来た。 また、例の若者たちが殊勝にも手伝ってくれるという。 オレは常々不思議に思うんだけど、こんな母ちゃんみたいなクセのあるオバハンの頼みを快諾する若者がよくいるもんだ。  ある土曜日の午後遅く、オレたちは母ちゃんの運転するクルマで帰宅した。 オレとしては当然「元の家に戻れる」って思うでしょ。 ところが。
 ひどいよ、母ちゃん。 オレの臭いなんてどこにも残ってないじゃないか! LDKの床や壁からは真新しい建材の臭いがプンプン。 オレは胸が悪くなった。 オレは一晩中、泣きわめいて、母ちゃんに大目玉を食らった。 ちびは母ちゃんさえいればいいんだから、なんの動揺もない。 憎たらしいほど元気である。 オレはなんの因果でこう立て続けに環境の変化に脅かされねばならないのか。 あ~ん。
 

   母ちゃんは嬉しくてたまらない。 とりわけ、広くて使いやすくなったキッチンが大のご自慢で、知り合いを呼んでは手料理でもてなす。 くたくたになるまで台所で働く。 お客さんたちは、皆いいヒトたちだから、舞い上がってる母ちゃんを好きなようにさせておく。 母ちゃん、ますます調子に乗ってお客を呼ぶ。 オレは「こんな家イヤだよう」と文句を言うヒマもなく、例によって接待に立ち働く。 悲しい習性で、母ちゃんにお客があると、オレの体はオートマティックに「余興係」として動き出すのだ。 お客さんたち、本当は、「可愛い子猫」の域を脱しないちびを見に来るのだけど、ヤツは例の人間嫌いがますます高じて、カーテンの後ろに隠れて絶対に出てこない。 そこでオレの出番となるわけだ。 ま、しかたないか。
 


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