子猫が拾われて3日目。 様相は急展開を呈した。
チビは依然怒ってはいるらしいが、活発に動き回る子猫の運動の相手を買って出たのである。 拾われた時ボロボロだったチビとは違って、この子猫は目が離せないほどヤンチャである。 キチンとかまってやって「指導」する存在が必要なんだと、チビはチビなりに覚悟をしたらしい。
野生の状況下では、子猫は、何匹かの兄弟猫と取っ組み合いをしながら猫パンチ・猫キックなどの技を習得し、さらに母猫の指導により虫などを捕らえては狩の学習をする。 チビは頭の半分で「なんでアタシが」と思いつつも、この役に没頭していったのだ。 ベタベタに可愛がるという風ではない。 さあ、アタシについてきてごらん、この椅子に飛び乗ってごらん、できなかったら容赦しないよ、このバカ。 という態度である。 それでも子猫をかまってくれることに変わりはないので、オレは安心して午睡をむさぼっている。 なに、一番ホッとしたのは母ちゃんである。 このまま子猫が受け入れられない状況が続いたら、別の里親探しを始めなければならないからだ。
聞くところによると、猫の複数飼いをしている家では、本当に彼らの中が悪く「家庭内別居」の状態が続いているだの、急遽他の里親探しをしただの、枚挙に暇がない。 その点、ウチでは、代々のオトナ猫が「他人の子」を育てる保母猫になり、事なきを得てきた。 これもご先祖様の偉大な教訓であろう。
「今の世の人間のようになってはいけない。 せめて動物界でなりと、幼きもの、弱きものを守りはぐくんでほしい」
と、亡き爺さん猫たちが彼岸から念じているのであろう。
そんな日々が続き、チビはますます本物の「母猫」に近くなってきた。 子猫が何かに引っかかって「ぴゃー」と泣いていると、どこにいてもブッ飛んでくるし、遊んでいる子猫の姿を斜め上から見守っている目は、ラファエロの「聖家族」のマリアのやさしい眼差しそのものである。 オレや母ちゃんの出番はどこにもナイ。 ま、オレは傍観者を決め込んだ立場だから、どうでもいいけどね。