6 転職願望

 

   カタいことばかり喋ってたら疲れちゃった。 オレの脳、容量小さいんだもの。 無理な仕事させると、すぐエンストしちゃう。 と思った瞬間、近くで「わお~ん」という動物の咆哮(ほうこう)が聞こえた。 すみません、これ、ウチの母ちゃんが考えに詰まると発する声なの。 母ちゃんはオレとたいして変わんない脳ミソしかないくせに、時々発作的に思索の世界に迷い込み、眉の間にタテジワ作るのが趣味なんだ。 人間界には「下手(へた)の考え休むに似たり」という教訓があるそうだ。 母ちゃん、知らないのかな。
 「う~、今年こそ」と母ちゃんはうなっている。 「あんな仕事、さっさと辞めて、海外ボランティアに行くんだあ」
 

 初めての人は心配するけど、オレは毎年季節の変わり目にはコレを聞かされるから、「また始まったな」とゴロ寝のまま薄目を開けて母ちゃんを見た。 しきりに知人に電話をして「あ~やっと決心ついたわ、今年」などと話している。 電話を受けた人は、利口だから、こんなのの相手にはならない。 「あ、そう。 ところで・・・」と話題を移す。
 

 実はこれ、母ちゃんの年中行事なんですねえ。 本当に退職する勇気もないくせに、ちょっとイヤな事があると、こんなことをほざいてみたいんですねえ。 オレは母ちゃんに食わしてもらってるから、辞められると困る。 ちびという被扶養者も増えた事だし、母ちゃんには頑張ってもらわないと。 路頭に迷うのはごめんだよ。
 

 母ちゃんの父親は生涯に職業を38回も変えた人だそうだ。 気に入らない事があるとすぐに「おれに合わない」と言って辞める。 辞めるとしばらく狭い家の中でごろごろしてて、母ちゃんの母親に尻を叩かれてまた職を探し始める、という一生だったそうだ。 母ちゃんの母親はその間一家を支えて働きとおした烈女だった。 その両親の子として生まれてきた母ちゃんには、この極端な2系統の血が流れている事になる。 いままではなんとか母親の血が勝ってきたらしいけど、いつ父親の血が「そろそろオレが」と飛び出してくるか知れない。 くわばら、くわばら。 母ちゃん、もうちょっと辛抱してくれよな。
 

 ま、こんなふうに年に一度発作を起こす母ちゃんだけど、治るのも早い。 いつのまにか自分が悩んだ事もケロリと忘れて、ちゃんと(かどうか知らないけど)仕事をしている。 知らない人はビックリして真剣に転職相談に乗ってあげたりして、エヘッ、気の毒だなあ。 はた迷惑な人だよね。 オレが友達だったら怒るよ。