まったく、ウチの母ちゃんのTVの好みほど、ハッキリしてるものはない。 動物番組と時代劇、「笑点」(およびこれに類するもの)、この三種類しか見ないんだもの。 あとは、たまに気に入った取材番組(人跡未踏の地の旅、とかね)だ。 だから、ウチはTVがついてる時間がよそのうちよりずっと少ないんだ。 すごく静かだよ、ウチんなか。 オレたち猫の他に家族もないしね。 母ちゃんの知り合いにはTVつけっぱなしという人も多く、彼らは母ちゃんのことを「変人」と呼ぶ。 「あんた、TVも見ないでよく人と話ができるね」としきりに非難するが、母ちゃんは「ケッ、騒々しいだけのドタバタ番組なんか見たくないや」と必要もない啖呵(たんか)をきる。 「世の中の動きについていけないよ」という忠告には、「新聞読んでるからいい」とそっくり返る。 まったく度し難い人でしょ。 猫のオレだって心配してやってんのにさ。
母ちゃんの毒舌はさらにケータイに及ぶ。 携帯電話は現在、小学生から隠居老人まで国民のほとんどが所有している文明の利器だ。 これがないと生活が成り立たないという人も多い。 家庭内電話や、街角の公衆電話は、じきに廃止になるんじゃないかな。 ところがウチの母ちゃんは頑な(かたくな)にケータイを拒みつづけている。
「これで人類は破滅する」
母ちゃんはアタマをかきむしりながら吼える。 ケータイが初めてこの世に出現した時、母ちゃんは予感したんだそうだ。 まず、マナーの問題。
1、人とどこかで会う約束をしても必死で時間を守ろうとしなくなる。「あ、悪い、ちょっと遅れる」などと平気で相手のケータイに送る。
2、人との会話中にケータイがかかってくると、それに出て会話を中断し、相手にしらけた思いをさせる。
さらに、ケータイメールに対しては。
3、コミュニケーションの根本をないがしろにする。 これまでは人間同士、相手を直接見ながら、表情や声の調子などから、さまざまな思いを伝え合ってきたのではないか。 母ちゃんがブッたまげた事には、恋人同士の別れもメールを送ってすませるケースがあるそうだ。
ここから先は怖いよ。
4、自分がメールを送ったら、すぐに相手から返事をもらわないと不安になる。 「間」というものが存在しない。 人間同士の言葉のやり取りは、お互いに腹の中で温めた、体温のある「ことば」で成り立っているものではないのか。 メール依存症という病気まであるそうだから手に負えない。 一日のうちの数時間を、ケータイ画面に向かって過ごすと言うから恐ろしい。
5、メールを悪用した様々な犯罪が頻発する。 メール上の誹謗中傷、悪徳商法。
数え挙げればきりがない。
もちろん、メリットもある。 緊急事態の報知にはケータイが役立つ。 いくら直情径行の母ちゃんだってそれくらいはわかってる。 若い人は「使いたくても使い方がわかんないんだろ」と母ちゃんをバカにするが、なに、母ちゃんも実はケータイを持ってるんだ。 でも、緊急時以外は絶対に使わない。 以前、母ちゃんの両親が入院してた時には、肌身離さず持っていたよ。 両親が亡くなって天涯孤独の身になってから、母ちゃんはケータイのぶるぶるという呼び出し音から開放された。 今、電車の中とか、街の中で、それほどの緊急事態でもなさそうなのにケータイに縛り付けられている人々を見ると、母ちゃんは「ご苦労なこった」と深いため息をつくのである。
ニンゲンって生活上の便利なものを創り出すアタマはあっても、その使い方を誤って破滅を招くかもしれない愚かな生き物なんだなあ。 猫にはとうていこんな芸当はできないよ。