このバカ子猫が母ちゃんにもたらす被害は多大である。 真夜中の3時、コイツのおつむにぱちりとスイッチが入るや、オレたち2匹が「うん、なんだ、なんだ?」と起き出して、大運動会が始まるからだ。 話せば長くなるが、ウチの母ちゃんは「食べなくてもいい、眠りたい」のヒトである。 1日の疲れを食欲で紛らわすタイプではなく、ひたすらグースカ寝てリセットが完了するタイプの人間なのだ。 それも7時間半寝なければ、翌日がもたない。 オレは毎日18時間以上寝てる猫の身だから、このことに関しては母ちゃんを責めるわけにはいかないけど、人間で7時間半ってのは贅沢じゃないか?
まあ、それはともかく, 枕を蹴飛ばし母ちゃんに噛み付くくらいならいいんだろうけど、リフォームを終えたばかりのフローリングの床はまずかった。 あのヒトは見かけによらず義理堅い人間だから、深夜の猫の大騒動が階下の住人にご迷惑をかけていたらなんとしよう、と思い煩って不眠症に陥ったのである。 以前のじゅうたん敷き詰めの部屋なら、多少の騒音は吸収されていたはずであった。
オレだって本当はゆっくり寝ていたいんだよ。 でも、猫社会にもツキアイってものがあるからね。 そうそう、チビにばかり子猫の相手を押し付けてはいられないんだ。 というわけで、部屋中のものを蹴散らして、われらの疾走が始まるのだ。 テケテケテケ、とおトメが走る。 トットットッとチビが追う。 ドドドッとオレが加わる。 この音の違いは体重の差による。
テケテケ、トットッ、ドドド。 テケテケ、トットッ、ドドド。
これが際限もなく繰り返されるんだから、母ちゃんにとってはたまったものではなかろう。 ついに母ちゃんは寝不足で体の具合が悪くなってしまった。
ある朝起きると、母ちゃんは右の耳が聞こえなくなっていた。 それでも、大の医者嫌いで通してるヒトだから、エイヤっと仕事に出かけたものだ。 午前中の仕事で、すでに耳の異常が業務に支障をきたしているのを痛感した。 人の声が聴き取れない。 頭の右半分がプールなのである。 しゃべると、水中でドラをたたくような鈍い響きが「骨伝導」で伝わってくる。
「おお、神よ、わが使命を果たすことができません(そんなにたいそうな仕事か?)!」と心中叫んだそうな。 何勝手なことほざいてるんだとオレは言いたい。 あれだけ「辞めたい、辞めたい」と願っていた仕事じゃないか。 ちょうどいい機会だから、コレを理由に辞めちまえばいいじゃないか。
そこが人間、オロカなもので、いざとなると覚悟が定まっていないのだろう。 母ちゃんは傍目にも見苦しいほどうろたえた。 昼食時、食べ物を咀嚼すると、ゴリゴリと異様な音が頭蓋骨の中に響きわたる。 見かねた同僚が何人も、「お医者に行ったほうがいいですよ」と親切にもそれぞれお勧めの耳鼻咽喉科を教えてくれた。 日頃、職場の人たちにも仏頂面をしている母ちゃんである。 こういう心遣いにもっと感謝していいのではないか。 世の中、自分ひとりで生きているという傲慢さほど、端迷惑なものはないと思うよ。