猫とは関係ない温泉話です

 

   作家の椎名誠氏は八丈島が大好きだ。 とりわけ、末吉の灯台の直下にある温泉宿を気に入って何度も投宿したらしい。 数年前、そのことを氏の「怪しい探検」シリーズを読んで知った時、私は嬉しくなった。 私もかつて一度、その宿に泊まったことがあり、強烈な印象が残っていたからだ。
 

  その宿は、何の飾り気もない質素な建物で、いわゆるリゾートホテルとは程遠い存在であった。 食堂でドーンと出てくる夕食も、島で獲れる海の幸をそのまま皿の上に盛り上げたものであったが、圧倒的にうまかった。 おまけに宿の外の波打ち際には、太平洋の荒波のしぶきをかぶる露天風呂があった。 夜ともなると、漆黒の闇の中、灯台のあかりが露天風呂を数十秒おきに照らし出す。 波濤の音と、灯台の光。 この湯に一度でも浸かった都会の脆弱者は、それを好むと好まざるとに関わらず、魂をゆすぶられる思いをすることになる。
 

  その宿に惚れこみ、またいつか訪れたいと心せきながら、20年近い歳月が過ぎた。 椎名氏のエッセイを再読して刺激を受け、インターネットで探索すると、その宿はすでに廃屋となっていることが判明した。 私は深い喪失感と寂寥感を味わった。
 

  何もかも便利で清潔で外見が美しい、というのが昨今の旅宿の条件なのであろうか。 その廃屋のかつての名は、南国温泉ホテルという。
 ぶんが擦り寄ってきた。
「母ちゃん、何落ち込んでるの~」
「・・・うん、なんかね。 長い間会わずにいた懐かしいヒトの訃報を聞いたような、ね」
「?」
   

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