拾ってくれた人


 昔、亡き母がまだ元気だった頃、当時の私の住まいにやってきては数週間滞在することがよくあった。狭いアパートだったが、その頃もやはり数匹の拾い猫どもがいて、母は私が仕事に出ている間、彼等の世話に追われたものである。その母がある日不満を訴えた。
「腹が立つねえ
。エサをやったりトイレの始末をするのは私なのに、猫は私よりあんたのほうが大事らしいよ」
「えっ。どういうこと」
「だって、あんたがアパートの入り口から階段を登ってくる足音を聞きつけたら、みなドアの前に並んでるもの」
「ひえ~。この部屋は4階だよ」
  ボロではあったが、一応鉄筋の4階建てアパートであった。その1階の入り口にさしかかった時から、すでに猫どもは飼い主の帰宅を察知していたらしい。
「婆ちゃんより姉ちゃんの方がいいのは、拾ってくれた人をちゃんと知ってるからだねえ、おまえたち。鳴き声も使い分けてるし」
 母は猫の前では自分のことを「婆ちゃん」、私のことを「姉ちゃん」と言い慣わしていた。ぶつぶつ言いながらも、母は実によく猫の面倒をみてくれたものだ。
 私は猫好きではあったが、彼等がここまで義理堅いという事は知らなかった。
「う~む。恩知らずの多い昨今のニンゲンどもより、よほどデキがよいではないか!」
 この時から、私は「猫好き」嵩じて「猫キチ」となってしまい、「猫しか愛せない女」と陰口を叩かれることとなったのである。
 現在の我が家では、拾われた時の状況が最も悲惨であったちびが一番飼い主に忠実(=私にしかなつかない)、放浪した末に我が家を自主的に住処と決めたぶんが苦労人で穏健中立派の愛想よし、捨てられた直後に拾われたとめは苦労知らずの我儘娘、という社会学的な構図が見事に成立している。

  

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